引越しの準備をするために、普段触らない棚をあけてみた。
すると、手紙が一通、落ちてきた。
封は、開いていない。
宛先は、私だ。
裏には、昔呼んでいた懐かしいニックネームが書かれている。
引越しにおいて断捨離というものは必要不可欠だと私は思っている。
特に紙類なんてもの、かさばるし、一番に捨てる候補である。
つまりこの手紙をどうするか、私は今決めなければいけない。
そもそも、この手紙に覚えがない。
もらった手紙を開けないで放置することなんてあるだろうか…
考えていても仕方ないので、私は封筒の中を確認する事にした。
引越しというものはとにかく時間がかかるのだ。
中には便箋が二枚。
一枚目には私への簡単な別れの言葉。
ありがとう。楽しかったよ。元気で。
とんでもなく、短い。
二枚目には自作の歌詞が書かれている。
彼はバンドマンだったのだ。
一目見たただけでわかった。
この歌詞、普通に長い。
「気持ちを伝えようと思うと歌になってしまいました」と、前フリ。
意味がわからない、と、思いながらも、私はその字を追っていた。
タイトル 「いき。」
「笑うとたくさん聞こえて、
泣く時は細かく小さくて、
寝てる時はすごく静かなんだ。
それが、君の、息の音。
出会った頃は聞こえてなかった。
君の呼吸の僅かな音。
笑顔を見た時、初めて気づいた。
君の生きてる、息の音。
息づかい、なんて、そんな単語、そういうシーンでしか気にしないって、
馬鹿な僕はそれまで思ってたよ。
でもそんなわけなかったよ。
だって、僕らは、毎日生きてる。
疲れた時には深呼吸して、
落ち着いて息を整えたフリ、
もう大丈夫、笑ってさ、
すぐに漏れる、我慢の音。
付き合い始めて気になりだした。
君の声だけやけに大きい。
しばらくしてため息がでた。
好きだから特別大きく聞こえるだけ。
はぁ、とか、ふぅ、とか、なんて言ったらいいのかな。
とにかく君の息が気になって、声フェチなのかな。
君から聞こえる小さな音がとんでもなく心地よくて。
ひとつだけ辛い音。
細かく小さい、その音。
何度も聞いたことがあった。
その度抱きしめてそれを包んだ。
守っているつもりだったんだよ。
その気になっていただけで救えてなかったのかな。
最後までその音を聞くことになるなんてね。
今日ね、実はね、告白をされたよ。
可愛いい子だったよ。
頬を赤らめて一生懸命、言葉をくれたんだよ。
嬉しいと思った。応えたいと思った。
そしたら、聞こえたんだよ。
「すきです」のあとの、小さな息。
違う。違う。違うんだよ。
君の息と、違うんだよ。
泣きたいくらいに違ったから、
その子を泣かせてしまったよ。
聞きたいな、君の音が。
どんな瞬間のものでも構わない。
笑った時の、溢れ出す音、
泣いた時の、か細い音、
眠る時の、静かな音、
怒ってる時の、激しい音、
さようならの時のあの音さえ、
聞きたいよ。感じたいよ。
君の息の隣にいたかったよ。』
最後まで女々しくてごめんなさい、と、離れて書かれた一行はきっと歌詞ではないだろう。
一枚目より明らかに多いひょろひょろのその黒い文字を見て小さな息がもれた。
「そんなこともあったな…」
暑さのせいか、汗のようなものも少し溢れた。
「ママァ」
廊下から声と足音が近づいてくる。
「どうしたのー?」
答えながら息をととのえる。
「パパ寝てたんだけど、部屋片付けながら!寝てた!」
「えぇ?もぉ、困ったパパだね」
「本当、困ったパパですよ…全然起きないし、ママの必殺技で起こしてー」
中学生になった娘が呆れながら話を続ける。
「あれやるとパパ、すっごいびっくりするよね…ちょっと引く」
「引かないの。パパ泣くよ?」
娘に言いながらも、自分の父親だったら少し引くなと小さく笑ってしまう。
「パパ、起きて」
言いながら手に持っていた手紙はそっとエプロンのポケットにしまった。
もう、と私も少し呆れながら、そっと彼の耳元に近づく。
元バンドマンの敏感な耳にそっと息を吹きかけた。
呆れながらも、驚いて起き上がる彼を見て、わたしの息はまだ彼に有効なんだな、と、少し心がときめいたのは内緒にしておこう。
★タイトル『いき。』 ★朗読時間:約10分 ★ひとこと:
馬鹿長い歌詞書いてしまいました。ので小説にしてしまいました。なんか、くすぐったい歌詞だなぁ痛いなぁって思ったので、私の感性ではなく彼の感性だということにしてしまいました。ちなみに普段触らない棚ってのは彼の棚なので、あの手紙は…察してね(笑)
あと珍しく途中にタイトルを挟んでみましたが、最初にもってきてしまっても良いです。
そこはご自由に。
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