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執筆者の写真roco

ディストーション



※暗いお話注意です。



知っていますか?

日本は自殺大国と呼ばれていることを。

知っていますか?

今日本の自殺者は三万人以上にのぼることを。

その人数はあの大震災で死んだ人数よりはるかに多いということを。

知りたいですか?

貴方がいまその三万人の一人になろうとしていることを。



全てを捨てると決めたその日、俺の目の前に綺麗ごとが降ってきた。



「誰だお前」

風の音が少しうるさい屋上、フェンスの中にいるそいつに届くように、最小限の音量を出した。

「誰でもいいでしょう?貴方の脳なんてもうすぐ停止するのだから」

ね?、と、とんでもないことを言いながら、いかにも人のよさそうな顔でそいつは笑った。真夜中なのにいつでもどこかに光があるこの街のせいで、その笑顔がみえてしまう。その顔に、俺は覚えがない。

「そんなことより貴方がそこにいる理由を私に教えてくれませんか?」

まさか誰かが通報でもしたのだろうか。

そう思って下を見下ろしたが人なんて一人もいなかった。

そういう場所を選んだのは自分だから仕方のないことだが、なぜか少し胸が痛んだ。

「通報されてきた刑事などではございませんよ、ご安心を」

俺の考えが伝わったのか男は平然と答える。

「なんだ、ほんと、なんなんだよ」

怒りが振り切れるまであとどれくらい持つだろう。

俺はもう、限界なんだ。

「おや、おや、これは相当お疲れのご様子」

お疲れ。そうだ、俺はきっと疲れている。世間様の言う「疲れた」状態だ。

でも、俺にとってはそうじゃない。

疲れているわけじゃない。

「俺は疲れてない」

「ほう」

「お前にとてつもなく腹が立っている」

胸のあたりで壊れたラジオがけたたましくノイズを出しているような。そういう煩わしい怒りが、

「今、お前に向かってる」

フェンス越し、男がきちんと見えるように自分は向き直ってやった。

話をするときは目を見て。

あぁ、人の目を見て話すのはいつぶりだろう。

いや、毎日出勤して人と会話していたから、そんなに前のことじゃないはずだ。

でも、やはりこの感覚は、久しぶりな気がする。

「私に怒っているのですか?それは怖いですね。でも、疲れているからそんなに余裕がないのではないですか?」

また、そいつが笑った。

なるほど、こいつは喋り方こそ丁寧で怪しいが、なんてことない、言ってることはそこらへんの教師が並べる綺麗事と一緒だ。

そんなやつ、すべて捨てると決めた俺には痛くもかゆくもない敵だ。

「教えてやる。疲れているから怒るわけじゃない。疲れているから悲しくなるわけじゃない。本当に疲れているときは何もできないはずだ。例えばこんなふうに自分の命をフェンスのこっちに持ってくることさえできないんだ」

「なるほど、それはそうですね」

「俺は今、きっと人生で一番と言っていいほどに調子がいい。…なぁ!人は生きているうちでどれだけすごいことができると思う?有名になるなんてのは、世間様の価値観過ぎて吐き気がする。人として考える。人という存在として考える…なんだと思う?」

「さぁ、なんでしょう?」

「人を産むことと、人を殺すこと。つまり人の命を動かすってことだ」

「なるほど」

「俺は今、自分で自分を殺す」

本当に今日は調子がいい。驚くほどに言葉があふれる。

俺を知ってる人が見たらどんな顔をするだろう。まぁ、どうでもいいか。表情なんて一瞬だ。

「貴方の言うすごいことをするわけですね」

思考を巡らせていれば、そいつがまた声をかけてきた。

「そうだ。俺は俺の思うすごいことをする。俺の正義に従う。自殺はだめだ?命を大切に?ふざけるな。これは俺の命だ。そんなお前たちの言葉のためのもんじゃない。俺のもんだ」

言葉がすらすらと口から溢れた。

ずっと俺が全人類にぶつけたかった事だ。

こんな知らない奴に吐き出していることに、また少し腹が立った。

「そりゃ、貴方の命は貴方のものですね。でも未練はないのですか?」

「未練?ないね」

即答していろいろな光景が頭をよぎった。走馬灯の予行練習のようだ。

家族、友人、職場、その景色と人の顔、毎日見るたくさんの物、毎日耳にするたくさんの音、忘れたころやってくるにおい、あの味、感覚、あぁ、あぁぁ、何かが俺を食い止めようとする。

「訂正する」

思い出すことを拒否するために俺はまた言葉を繋げた。

「未練がないは嘘だ。でもな、未練を探す気はない」

「探せばあるんですか?」

「あるかもな。でも、それを探すのはなかなか面倒くさい。しかもそれを消化するのはもっと面倒くさい。その上な、そいつはちょっとした勘違いだったりもするんだよ。嘘じゃない」

「嘘じゃない?根拠でも?」

「ない。俺の言葉も勘違いかもしれないくらいだ」

「ずいぶん意味が分からないことになってますよ」

「その通りだ。でも意味を通すことに何の意味がある。これから消える人間が意味ある言葉を吐かなきゃダメか?…そうだ。そう考えればみんなそうだ。みんないつか消える人間なんだから意味ある言葉なんて吐かなくていいのかもな」

言いながら、意味のある言葉ってなんなんだ、と新しい怒りがわく。

「思い返せば、誰かが意味ある言葉を吐いていたことがあったか?ないだろ。ってかなんだよ意味ある言葉って。なにをもってして意味ある言葉っていうんだ?」

気がつけば俺は、どうでもいい、何も知らない、今日初めて会ったそいつに、必死に問いかけていた。

「そうですね、例えば人を助ける言葉、とかでしょうか?」

「人を、助ける?なんだそりゃ…」

欲しくない答えが返ってきて思わず一瞬息を飲む。

「『一人じゃないよ?』か?『もっと気楽に考えて』か?『あなたが心配』とかか?散々言われたがな、一切助かったなんて思わなかったぞ。むしろきっとあいつらは自分を救っていたな。俺みたいなやつがいるあの空間を自分が乗り切るために」

「それなら、その言葉は人を助けた意味ある言葉ですね。その人にとって」

「は?」

「その人たちが、自分たちを助けるために吐いた、『意味ある言葉』ですね。違いますか?」

頭が追いつかなくて言葉が詰まった。

するとそいつはまた質問をしてきた。

「貴方は随分おしゃべりな印象を受けましたが…普段からですか?」

「いや」

「そうですか。ところで先ほどの話に出てきた貴方を助けようとした人たちは今もご健在で?」

「知らない。生きてるんじゃないか?」

意図がわからず睨みながら最低限を答えればそいつはまた笑った。

「それはそれは…納得ですね」

「どういうことだ?」

「だってそうでしょう?貴方に『一人じゃないよ?』と声をかけた人は、黙らずに自分を助けて今も生きている。いつもだんまりを決め込んでいた貴方は、自分を救えず今から死ぬ」

「あぁ⋯」

調子が悪くなってきた。言葉が出ない。

「喋らないと救えないんですね。気持ちを表に出したほうがいいということでしょうか」

風が背中を押している。そうか、今このフェンスを離せば何も考えなくてよくなるんだ。

そいつの言葉から逃げるように当初の目的を思い出した。

「おや?黙りますか?さっきまであんなに喋っていたのに」

本当だ。本当に随分喋った。俺、あんなに喋れたんだな。

「黙っていいんですか?救えませんよ?」

救えない。そうか。みんな自分を救ってたんだ。だからあんなにうるさかったんだ。

笑い声、泣き声、悪口、説教、独り言、全部全部自分のために、あの人たちは口にしてたんだ。

「俺、意味のない言葉を吐きたくなかった。意味のないことがしたくなかった」

風の音が背中でうるさい。風も自分を救っているのだろうか。

「でも、そっか。みんな、意味あることしてたんだ。すげぇな⋯」


風の音が背中から横に移動していく。


身体がずしっと重さをもって、下へ落ちようとして、それで、


「でもやっぱ、俺はあんたらみたいに煩く生きたくないんだよ⋯」



決してすごく高いわけではない、でも人が生きながらえるほど低くない、平凡なビルから一人が旅立った。



「なるほど」


彼の身体だったところから真っ赤なものがこれでもかと流れていく。


「言葉にするのが嫌だからまるで身体そのものを吐き出しているみたいですね」


「おつかれさまでした」と、その人の呟きが宙に浮かんだが、風がまたその音をかき消していった。





★タイトル『ディストーション』 ★朗読時間:約15分 ★ひとこと: 書いたのが3年前くらいだったと思います。大震災は津波の事です。ディストーションには、音のひずみ、という意味があります。みんな枠で愚痴を言ったりしますね。それでいいと思います。自分を救ってください。私は、でも救えなかった人にはね、お疲れ様って言いたいんです。


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