両親から宿題は終わったのかと聞かれ始めた。
もう8月も残り少ないことを実感する。
宿題は夜中にコツコツやって終わらせてある。
自由に家を出て彼女に会える昼間をそんなものに費やしたくなかった。
その日も朝ごはんを食べてすぐ廃工場に向かった。
いつもと違ったのは、廃工場の前に一人の男性が立っていた事だった。
「なにかここに用事ですか?」
入口の前で廃れた工場をじっと見つめていた男性がこちらを振り向いた。
その人はこんな所に人がいることに驚いたような顔をした後で、今度はこっちが驚く程の暖かい顔で俺に向かって微笑んだ。
「君も、ここが好きなのかな」
歳は父親と同じか少し上くらいだろうか。
優しすぎるその声に俺は真意が読めず黙ってしまった。
「娘もね、ここが大好きだったんだよ。わけがあって今はもうここには来れないんだけど…」
まさか、俺は驚いて男性の顔を見た。
どこかに彼女の面影がある気がした。
「あの、ここら辺にお住いなんですか?」
「え?あぁ、この辺りには住んでいないんだけど、僕の実家がこの辺りでね」
夏になると毎年帰ってきていたんだ。
そう言われてずっと謎だった事がハッキリした。
この町で"廃工場に幽霊が出る"なんて噂がないこと。
彼女の顔に見覚えがないこと。
それは彼女がここで死んだ訳じゃないからなのかもしれないと、何となく察していたがドンピシャだった。
「娘の日記にね、夏休みに来るこの場所だけが安心できるって書いてあったから。この時期は会えるんじゃないかなって…たまに来てしまうんだよ」
「そう、ですか」
答えがぎこちなくなった。
彼女の気持ちが痛いほど分かったから。
「君、いくらでも逃げていいけどね。自分の身体は大事にしなさいね」
男性はそう言うと、変な話をしてすまなかったね、と言い残してその場を後にした。
"ここだけが安心できる"
彼女は日記にそう書いていたという。
大好きな彼女が自分と同じ想いを抱えていたということに胸が苦しくなった。
だけど、彼女が自分と違ったのは、いつでもここに来れるわけじゃなかったということだ。
だからきっと願ったんだろう。
ここに来たいと、最後に願ったんだろう。
でもその願いのせいで、やっとうるさい世界から逃げ出したというのに、今度はここに閉じ込められてしまっている。
彼女の現状がどこまでもやるせなくて、その日彼女に「あ、今日も来た」と嬉しそうに笑いかけられた時、心が決まった。
8月31日。
夏の終わりを告げる花火がこの町に上がる前に、俺は自分の身体に終わりを告げた。
これが俺の最終手段だった。
「今日も来ちゃったの?」
太陽はもう見えない。夜がくる。花火がくる。
「君には私が消えるところ見せたくなかったな」
ギリギリ間に合って俺は廃工場に戻ってきた。
とても軽い身体になって。
「なぁ、海に行こう」
「何言ってるの?出られないんだってば」
「出られるよ。勇気がないだけだろう。誰かが手を引けば、出られるかもって言ってただろう」
「誰が手を引くって言うのよ」
出会った日と同じように天井を見上げる彼女の中に月の光が差し込んでいる。
出会った日と違うのは、すぐに近寄ったのは俺の方だという事だ。
「え」
彼女は一瞬で目の前にきた俺を、今まで見たことの無い間抜けな顔で見つめてきた。
「月の光が…透けてる…」
目を丸くして自分に手を伸ばしているその顔を、もう少し見ていたいと思ったけれど、驚かせてる時間なんてないから俺はその手を掴んだ。
「うそ」
掴めた。
一直線に窓の方へ飛んで外に飛び出せば、タイミングよく上がった花火の目の前に二人で放り出される。
「なんで…?」
彼女が問う。
「死んできた」
俺は答える。
「なんで!」
彼女が叫ぶ。
「好きだから」
俺も叫びたかった。
どこにいけばいいのかなんてわからなかった。でも止まっちゃ行けないことだけは分かった。
だから全力で彼女の手を引いた。
どこかで同級生の笑い声が聞こえる。
どこかで両親の呼び声が聞こえる。
大きすぎるその声より、
真後ろの微かな泣き声が一番に胸に響いた。
気がつけば俺たちは海がすぐ下にある崖にいて、
彼女は泣くのをやめて町の方で上がる花火を見ていて、
俺はその姿を後ろから見ていて、
よく見ればやっぱり彼女の中で花火が咲いていた。
幽霊は感情が身体に現れるのだろうか。
だとしたらきっと、今俺の身体には彼女が写っているだろう。
そんなことを考えていたら、彼女が振り返って俺の事を見つめた。
彼女の事をたくさん考えているのがバレるかもしれない、そんなふうに焦っていたら、少し笑って彼女が言った。
「ありがとう」
そう言うやいなや、彼女は俺の手を勢いよく引いて、そのまま胸に両手を当ててきた。
そして俺を、勢いよく崖の上から海に突き飛ばした。
「ーーーーー」
最後の花火の音と一緒に彼女が何かを言った。
同時に彼女の身体が散っていくのが見えたのに、突き飛ばされた瞬間に身体が重さを取り戻して、ただただ海のほうへ落ちていく自分を止められなかった。
彼女の最後の言葉が「さようなら」な気がして何度も何度も海の中で叫んだ。
「…いやだ」
やっと声が出せたと思ったらそこは病院だった。
どうやら俺の自殺は失敗だったらしい。
俺の声に驚いて看護婦さんが声を上げた。
「先生!あきくんが!濱野秋くんの意識が戻りました!!」
バタバタと周りが騒がしい。
あぁ、うるさいのは嫌いなのに。
そう思っていたら窓際で全てを掻き消す音が響いた。
リンリン。
『どこかから風鈴の音も聞こえるし』
リン、リンリン。
工場で聞いた、風鈴の音だった。
「ふっうぅっ」
涙が途端に溢れた。
身体が重い。
でもそれ以上に心が重い。
「いかないでっ」
リンリン。
素直に想いを呟いたらまた風鈴が鳴る。
近すぎる風鈴の音が「離さない」と言うように俺を現実に引き戻す。
そして追い打ちをかけるように医者が俺の名前を呼ぶ。
「あきくん、聞こえますか」
俺の恋した夏が終わった。
★タイトル『幽霊になった夏』 ★朗読時間:約13分 ★ひとこと: 遅くなったぁぁぁ!ごめんなさい!何が夏だ!!(笑)
これからもよろしくお願いします。
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