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執筆者の写真roco

浮けども、浮けども、





嫌なことがある。


「やめろって!早まるな!」

「…なに、そのありがちな台詞」


そりゃ、一生懸命生きていれば嫌な事のひとつやふたつ、うまれるのは当たり前だと思う。

それに耐えたり、解決したり、ぶっ壊したり、見ないふりをしたり、なんかとにかくやり過ごすのが人生だ。


『仕事のセンスがないのよね』

『いや、俺ら付き合ってるけど、結婚するかはわかんないじゃん?』

『好きならそれくらいできるでしょ』

『私はあなたみたいに立派じゃないからさ』


嫌な記憶が頭に浮かんで、ため息がでた。

小さなストレスはそれでも立派な幅をとって私の心の中に居座る。

だから私はビルを登った。

足元では、ちっぽけな私のため息もなどすぐに消すほどの風が吹いている。


「さすが、三階とはいえ屋上」 


もちろん好きなことだってあった。


「なぁ、話し合おう!?お前の話を聞かせてくれよ!」

「いまさら、」


例えば、今、たった三階の小さな勇気を出そうとしている私に必死に声をかけてくれてる彼。

柵のこちら側と、向こうの扉付近と、短い距離がもどかしい程、大好きだ。

あとは家で飼ってる白くて小さな海月が好きだ。クラコ、という。

あの子の、自由にみえて、必死なところが好き。

優雅なあの姿は、よく見れば、何度も何度も浮くために力を入れているただの作業だ。

あんなに一生懸命でも重力に引っ張られ沈んでいく。


「まるで人生みたいよね」

「なに?」


やっと私の声が届いたらしく彼が返事をした。


「うちの、クラコ」

「クラコ?…海月の?」


拍子抜けという顔をしている。

そりゃ、そうだろう。

愛する彼女が自殺しようとしているところでペットの、しかも海月の話をしてきたのだ。

でもやっぱり今浮かぶのは、あの、青に浮く白い海月なのだ。


「海月みたいなの!私!」

「え?」

「浮けども、浮けども、」


楽しいこと、

嬉しいこと、

涙が出るほど大切なもの、 

そういう暖かいものがどんなにたくさんあったって、


「沈んじゃう」


重力ってどうしようもないなにかがあって、体も心も沈んでく。

ほんと、どうしようもない。

誰も悪くない。

しいていうなら、やり過ごせない、私が、悪い。


「どうせ沈むのに、もう、浮く元気がない」


きっと最後の笑顔だ、そう思いながら必死に笑えば、彼が泣きそうな顔をした気がした。

わからない。気がしただけかもしれない。

彼の顔を見るのに疲れてそっと目線を下に落としたから。

後ろに一歩、足を進める準備をする。

足元で白いワンピースが風を含んでぶわぶわと膨らむ。後ろの背景はきっと青。


本当に、海月みたい。


そう思ったと同時に身体が浮いた。

浮いた、と実感した次の瞬間にはそれはずんと重くなって、強く下に引っ張られた。

まるで糸でもつけられているかのように、ぐいぐい下に引き付けられる。

彼がなにかを叫んでいる。

言葉に耳をすまそうとしたら、バキバキと何かが勢いよく割れる音が邪魔をした。

身体の裏側から小さな痛みが色んなところに走る。


落ちた。


落ちた、落ちた、落ちた、落ちた、落ちた。


それなのに、なぜ、まだ身体が重い。


「ひかり!」


彼が私の名前を呼んだ。

腕をまわされて抱き上げられる。

そしてまた、自分の重さを感じた。

見上げれば、のぞき込む彼の頭の後ろは緑に色づく木が茂っていた。

割れたのは木だったらしい。


わたしは、生きているのだ。


「ひかり、あぁ、生きてる、よかった。すぐ、救急車、呼ぶから」


彼は震えながら必死に右手で電話をかけている。

左手は、また必死に私の肩を掴んでいる。


浮けども、浮けども、沈む私を、彼が必死に抱きしめていた。


抱き上げていた。


浮かしていた。


わけもわからず涙が出た。





★タイトル『浮けども、浮けども、』 ★朗読時間:約6分 ★ひとこと:

水族館のクラゲのゾーンってずっと見てても飽きないから不思議ですね。

朗読向きではないかもしれませんが、よろしければお使いください。



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